雲上の楽園 松尾鉱山
クルマで近づいてみるとコンクリートむき出しの建物群が見えてきた。
ここが太平洋戦争前から鉱山の街として栄え、水洗便所やセントラルヒーティングまで備え、 芸人まで呼んできたといい「雲上の楽園」とまで呼ばれたが、今となってはまさに雲の如し。産業遺産ともいうべき松尾鉱山である。
心霊スポットとしてもつとに有名であるが、残念なことにワタクシには霊感というものがまったくないので多分にそういうものにはお目にかかれないであろう。
クルマをおりて薮をかけ分けて行くと木枠の窓が見える。全てガラスがないのは割られてしまったからかな。
建物は恐ろしく危なっかしいくらいにボロいがはいってみた。
こちらは「い」という建物であるから「い」と書いてある。何しろ古い建物なので数字で建物をあらわすのではなく、いろはに・・で記されている。
このカメラ目線がワタクシの目線でもあるわけだが、建物の梁が妙に低い事に注意頂きたい。
つまり梁とワタクシのアタマは拳ひとつ分くらいしかないのである。
建物内はかなり多くのヒトが訪れるようで、床がピカピカになるくらいにすり減っているからおかしい。もちろん立ち入り禁止の札はかかっていたのだが。
これはある部屋の住所表記である。
各部屋には水洗トイレが備えられているのは素晴らしいのだが、なぜかその便器が転がっているのかは不明だ。
わら布団があったりして時代を感じさせます。
建物は斜面にいくつもあります。ここは標高900m近い場所なので風雪もう相当でしょうから、建物の連絡通路もしっかり出来ています。
途中で催してきたので建物のトイレを拝借・・ ってオイ。
小便器の位置が低いんだよなぁ。
雲上の楽園といえどもそこは日本。大好きなスローガンがまだありました。
最初は火葬場か?と思いましたが、どうもボイラーの跡地だったようです。
集合住宅のとなりには寮もあります。
望遠で撮影してみると2段ベッドのようなものが見えます。
近づこうかと思いましたが薮をかき分けるような服装ではなかったのでやめました。
さて、実はこんなに古い建物ばかりなのに隣には妙に新しい建物があります。
塗装されているだけでもぐっと綺麗に見えるもんです。
これまた建物の中に入ってみると普通の学校という雰囲気です。
松尾鉱山中学校の後に生活学園という学校になったようです。
閉山後にこんなところで学校なんてどういう理由なんでしょうか?
普通に学校なので体育館もあったりします。
サバイバルゲームをやったようでバリケードや無数のBB弾が落ちています。
松尾鉱山には病院があったのですが、閉山後は学習院が買い取り「学習院八幡平寮」としてつい最近まであったようです。
ですが、現在はご覧のように更地になってしまっております。
雲上の楽園「松尾鉱山」は当時こそ炭坑員の給与が非常によかったので銀行の支店まであったとか。嫁さんの叔父は岩手の銀行員だったのでそんな昔のハナシをしてくれました。
しかしどこの炭坑もまた同じように閉山すれば寂れて廃れていくのをまつだけになってしまうものです。
かつての栄華を「産業遺産」として保存するのもまたいいんじゃないかと思うのですけどね。
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