平塚青果市場で最後のジムカーナ練習会





 終焉はやってくる。

 それは突然にやってくる。

 今まで当然のように開催されていた神奈川県平塚市にある平塚青果市場で開催されていたジムカーナ練習会は、2018年をもって終了となった。

 チーム・アルパインのインターネット掲示板にアナウンスがされて皆、驚いた。そりゃそうだ。いままでも平塚青果市場でジムカーナできなくなるというウワサはあったものの、もう何十年も続いていたからだ。

 一参加者でしかないワタクシには市場側の決断に至った理由を知る由もない。しかし、かつて周囲は畑と工場しかなかった平塚青果市場も、市場のすぐ裏手まで住宅が立ち並び、市場の経営者も変わり、世間の流れも変わってしまったから、そういうオトナの事情があってのことかと想像する。

 東京から車で1時間ちょっとという神奈川県の平塚、駅から徒歩15分の立地でジムカーナできたこと自体が今では奇跡みたいなものだ。開催チームが騒音問題やマナー向上にどれほど気を配ってきたかは、参加させてもらっていたからその苦労が偲ばれる。

 というわけで、レーシングチーム・レジスタンス2018年最後の練習会に参加して来たので、これまでの平塚と最後の練習会の様子を書き記す。



過去から現在まで

 初めて平塚の練習会にワタクシが参加したのは大学生の頃だ。たぶん21歳の時かな1996年くらい。当時はイギリスのMG-Bという車で参加したのを憶えている。サイドターンはできなかったけれど。当時は走行会ブームで、浅間台、成田モーターランド、筑波、茨城中央、南千葉、茂原、富士、そして平塚とあちこちで週末になると走行会が開催され参加した。もちろん真っ暗なうちに自宅を出発し、下道をエンヤコラと走って行き、1日走り回って、また下道で帰って来た。

 そのころはまだインターネットがようやく始まったころで、ワタクシもモノクロ画面のMacでネットスケープを利用していたが、走行会の案内も申し込みもネットではなかった。Speed Mindなどの自動車雑誌に走行会情報が掲載されていて、それをもとに主催者へ電話で申し込みをするか、開催するショップに直接行って申し込みをしたものである。

 そんなわけでレーシングチーム・レジスタンスの練習会には毎回電話で申し込み、千葉県市川市から神奈川県の平塚市まで往復自走で毎回参加していたところから、レジスタンスさんとは昵懇の間柄となった。

 チームの懇親会にも参加させて頂き、多くのチーム員とも交誼が続いた。20年以上も1つのチームと繋がっていると、多くのチーム員と出会うことができた。
 また、練習会ではトラブルもあった。参加者の車が道路沿いの木立に乗り上げたり、台車や鉄製のゲートに刺さったりしていた。他にも昔は武勇伝めいたスゲーことがあったりとレジスタンス伝記が書けるくらいにネタがある。が、細かいハナシはここにはやや書きかねるので墓場まで持っていくつもり。

 レジスタンスの練習会も参加者が集まらない時期があったり、満員御礼だったり。インターネット以前は練習会を開催してもチームは赤字続きであったという。その後、走行会ブームで盛り上がったあと、しばらく参加台数はレジスタンスの練習会にしては少ない時期もあった。よそのチームでは参加台数が少なく、1日で20本くらい走ったこともあった。が、近年はスポーツカー再燃により、毎回満員御礼という状態だったようだ。

 ワタクシもしばらくイギリスで生活していたりして練習会に参加できないこともあった。また、2017年からはワタクシが滋賀県に単身赴任となり、年に1回参加できればというくらいになった。

 そういう現状ではあるものの、今回最後の練習会ということで平塚から400kmほど離れた滋賀県近江八幡市から自走で参加したのである。

 さて、ここで過去から現在までの練習会をふりかえってみたい。


 2001年の練習会の様子。今とあまり変わらないように見えるが、パイロンは駐車場の端まで設定されており、よく回されるコースだった。パドックの車を見ると、つい最近と変わらない光景にも見えるから不思議だ。


 2006年の練習会の一コマ。いまでも当時はビート、カプチーノ、AZ-1がまだ多く走っていた。


平塚の達人たち。


2006年に開催されたレーシングチームレジスタンスのカート大会の様子。会長のヘアスタイルが今と違うって? カートとなると会長は超速い。白井さんも佐川さんもサイド・バイ・サイドで本気になっていた。


ビール工場見学と言う名の飲み会。


左の写真のお二人、実はすごい人なんですよ。2009年の練習会。ポルシェ911が走っていたこともあった。


2009年に開催された湘南シリーズ。これは画期的だった。


2009年の懇親会集合写真。たった10年前だが、みんな若くみえる。


四駆ターボの全盛期のころかな。


初年度の湘南ジムカーナ最終戦の表彰式。炭酸水ファイトで盛り上がる。


その時の集合写真と駐車場の様子。いまでも走っている車を見ることができる。


 レジスタンスの練習会といえば弁当だ。この弁当が曲者。全部食べると眠くなり、午後の走行でミスをする。実は弁当業者は変遷がある。2010年のじゃんけんマッチ景品はこんな感じだった。


2010年の参加車両。このホンダ・レジェンドはその後、大変なことになったりして、ちとばかし有名になった。


レジスタンスの有名人だった人。平塚ではミニバンもジムカーナできることを証明した。


 2011年はダブル・エントリで走る車も結構いた。


左のアルトは浜坊氏のもの。その後、ワタクシのアルトの足回り一式を移植した。


 2011年10月朝の完熟歩行の様子と、この頃から隣のボーリング場が更地にされ別の建物が建設され始めた。



 どれも強烈な走りを見せるちょっと古いトヨタ・カローラ勢と新型。平塚のトヨタ乗りは皆、カミソリ・ターンする。

 
前輪駆動でジムカーナをすると、ドライブシャフトを破損してしまう場合があったりする。破損しない手もないわけではないが、難しい。


 2011年10月の練習会でのじゃんけんマッチとシメ。


 平塚青果市場は平塚ベルマーレの試合の際には駐車場にもなる。ジムカーナ練習会の前日は、準備のためチーム員が市場の整理をするのはあまり知られていないかもしれない。


 会長のメルセデスのドロップヘッド・クーペ。


 2017年の練習会。考えてみると2017年になっても平成初期ごろの車が沢山走っている平塚。ちょっと不思議な光景かもしれない。

ワタクシが平塚で走らせた車を思い返してみると、MG-B、ホンダ・トディ(550cc)、スズキ・セルボ、ホンダ・トディ(660cc)、スズキ・アルト、プジョー106ラリー、そしてスカイラインV35と変わっている。前輪駆動、四輪駆動、後輪駆動といろいろと試していい経験をさせてもらった。



平塚で最初に走行した車。ハタチで乗る車ではないが、当時はこれに乗っていた。写真は2000年に富士スピードウェイで開催されたヒルクライムレースに参加した時の一コマ。


ライトウェイト・カーとはかくありき。ホンダ・トディ。4ナンバの貨物車両ながら標準でタコ足が付き、エンジンの回転限界は8,300rpmというイカれた550cc。いまだにこのヒラヒラ感を越える車に出会えない。オイル上がりのため廃車。


同じ平塚で出会った浜坊氏からビールで譲って頂いたスズキ・セルボ。LSD搭載で楽しかったが、浅間台で転倒し敢えなく廃車。以後、ロールケージを取り付けるきっかけとなった。2005年ごろの話。


もう一回、トディ。660ccの四輪駆動。パーマネントコースでは軽自動車とは思えない走りの良さを見せた。トランスミッションに取り付けられている切り替えスイッチにより前輪駆動と四輪駆動を選択できる。2008年、ヒーローしのいで開催された軽耐久においてダンス下段、最終コーナー出口のスポンジバリアに激突し廃車。


スズキ・アルト。4ドアなので使い勝手が良い。無理やりトディ用のロールケージを取り付けた。エンジンを過回転させたためバルブクラッシュしたものの、ヤフオクで入手した中古ヘッドで復活。ヘッドカバーをピンクに塗装したことからモモレンジャーという名前になった。リア足回りがダメになり廃車。

 
これは番外。平塚スペシャルになるはずだった自作自動車。アルミモノコックシャーシにホンダのエンジンを搭載した。エンジンを始動させたところまで辿り着いたが、結婚のため趣味のリストラ対象となり解体してしまった。

 
ヤフオクで冗談半分で入札したら落札してしまったプジョー106ラリー。ストレートカットのスーパークロスを組み込み、ニュートラルステアに近い特性で楽しい車だけれど、フツーの人には乗れない。なぜなら、ドアと窓ガラス以外はほとんど外して修理した。あんまりにもアチコチ壊れていて書ききれない。そのため、ほとんど平塚を走ることなく、エンスーの方に譲った。


2017年、滋賀県に転勤となり横浜まで楽に帰省できて、ジムカーナもできる車ということで購入したスカイラインV35。4ドアセダンに3500ccで6MTという今後絶対に現れないと思われるタイプの車。不人気車だが、ニスモの脚をいれたら走りは本当に素晴らしい。

平塚には表舞台にはなかなか現れない凄腕ドライバーが参加していた。少ない予算で車を限界まで走らせる方々がいたし、いまでもいる。いまでもつながりのある方もいるけれど、平塚でジムカーナ練習会が開催されなくなると、その方々とも多分会えなくなるだろう。



最後の練習会

2018年10月14日(日)にレーシングチーム・レジスタンス最後の練習会が開催された。
それに合わせて10月12日(金)は仕事を定時で上がり、スカイラインで滋賀県から神奈川県横浜市にある自宅まで移動した。
新東名を利用しても片道5時間弱。いくら乗りごごちのよいスカイラインでも草臥れる距離だ。
土曜日は子供達と遊び日曜日の早朝、家族の寝ているところを抜け出して平塚へ向かった。
事前の天気予報と異なり雨がパラついていたが、完熟歩行の頃には雨もあがり天候は回復の方向へ向かい始めた。


午前のコースはこれ。

思えば昔は随分と厳しいコースだった平塚。今よりもずっと外側を走っていたし、ターンもキツかった。1コース走ると3秒に1回はサイドブレーキを引いたときもあったくらいだ。



本多さんがワタクシ最初の1本目を撮影していただいてくれていた。ありがとうございます。

助手席に同乗走行でもあったので、パトランプを回し、タイヤも回し、車も回っています。

最後の平塚なので、午前も午後も平塚を満喫するように走ります。

多くの参加者とはこれが最後の走行会なので、いろいろと思い出話が咲きます。過去に参加していた方も見学に来られてまた話が盛り上がる。

久しぶりに会うチーム員の二人も昔と変わらず時間計測して頂いた。左の横田さんはその昔、シビックでスゴい走りをした方で、エキビ走行してた。

お揃いのヘルメットでラストドライブ。


こちらはピカピカのビート。ビートは昔から変わらず参加する車両だと思う。一般的にはパワーがないと言われるが、ここ平塚ではそんなことを微塵も感じさせない速さを見せつける。

厚誼頂いているチーム・アルパインの会長である白井さんが、これまたアルパインのチーム員のZをドライブ。ワタクシのスカイラインと共通するところも多いので話が盛り上がる。

タイムスリップしたかのような光景。昭和の車が並んだ瞬間だ。どちらもカリッカリに仕上がっており、カミソリのようにキレた走りをする。

飲み会では車談義で盛り上がるMDiさん。親子でドライブ。ワタクシも子供と一緒に走りたかった。

走行終了後は恒例のじゃんけんマッチ。200点以上の景品をみんなで分ける。多くの参加者に渡ってよかった。今回も本多さんから多数のお酒が提供された。

そして最後の挨拶は佐川さん、白井さん、そして会長の順で話された。これで最後かと思うと寂しいものである。
参加者と最後の挨拶をして帰路につく。寒川I.C.手前でガソリンを入れて新東名で滋賀県へ向けて出発。

陽の落ちる刻限に一人で車を走らせるのは寂しいものだが、ここで不安が発生。速度を上げるとひどい振動が発生する。P.A.に停車して様子をみると左後のタイヤだけが異常に摩耗している。普通ならとっくにタイヤ交換するくらいだ。とはいってもここで交換するタイヤは持ち合わせていないので速度を落としてゆっくり走る。

こんなことにも気がつかなんとは。最近、細部にまで気が回らない自分になったものだと思う。
そういえば練習会の参加者もスタッフもワタクシもすっかり歳を重ねたと感じた。そりゃ走り始めてから20年以上も経過すれば、そうなんだけれどね。それだけの長い期間、同じ場所に集まったというのもそうそうあるものではない事かと思う。




  
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